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創業200年!井上糀店7代目、井上雅恵さんが守り抜く糀の伝統。#しまんとひと名鑑

高知県四万十町で 1818年に創業し、今も糀や味噌を作り続ける「井上糀店」。
7代目を務めるのは、井上雅恵さん(55)。四万十町生まれ、四万十町育ちだが、県内の別の地で大手半導体メーカーのエンジニアとして 20年間勤務し、長い間地元を離れていた。
そんな彼女が家業である糀屋へ戻ってきたのは 2011年のこと。「もう畳もうと思う」という母の言葉に、「ほな、帰るわ」と、地元に帰ってきたという。
雅恵さんが帰郷を決心した理由や糀屋のお話、大人になって戻ってきた四万十町での暮らしぶりについてお聞きしました。

天井の低い趣のある作業場に立ち込める甘く柔らかな香り。朝9時。糀の元になるお米が蒸しあがったばかりだ。

200年以上の間、高知県四万十町六反地で糀を作り続けてきた「井上糀店」の7代目を務めるのは、井上雅恵さん(55)。糀屋の娘として生まれ育ち、小さな頃はお店が遊び場だった。

「糀を作っているこの場所に来ては、蒸しあがったお米を手で握って食べさせてもらったり。この場所での営みは、小さい頃から日常の風景でした」

そんな日常の風景が無くなるかもしれないという話が浮上したのは、2010年のことだった。6代目である雅恵さんの母・征子さんが祖父母の介護をすることになり、お店を畳む流れになった。大学卒業後、県内にある大手半導体メーカーで20年勤めていた雅恵さんだったが、母のその言葉に、「ほな帰るわ」と家業を継ぐことを決断。2011年4月、20年振りの地元へ帰ってきた。

だが、その頃のお店の売り上げは、芳しくなかった。「そりゃ不安でした。やっぱりやめておいたら良かったかな、なんて思ったり。でも、『なんとかなるかな』っていう思いもあって、一年くらいはのんびりしていたんです」

変化が起きたのは、帰省から2年が経過した頃だった。変わらずのんびりと過ごしながら、道の駅でアイスクリームを食べていた雅恵さんは、偶然、県庁に勤める同級生と再会。家業を継ぎに帰ってきた雅恵さんに、同級生は高知県が開催するビジネスの勉強会を紹介してくれた。これをきっかけに、商売について本格的に勉強を始め、商工会が主催する講習やふるさと納税への出品も開始するようになった。

「商売の基礎も学べたし、色々な生産者の方々とも繋がることができて良かったです。ふるさと納税を始めてからは、全国からも注文をいただけるようになって、井上糀店を知ってもらうためにもすごく良かったと思います。ふるさと納税でお味噌のキットを毎年リピートしてくださる方もいますし、そこからさらにうちのお店に来てくれる方もいるので、すごくありがたいですね」

家業とは言え、これまで自分が経験したことのない商売、経営。雅恵さんはひとつずつ勉強をし、今では商品の受注、Webページの管理、SNSなどでの発信など、お店に関することのほとんどを一人でこなしている。

「戻ってきたばかりの頃は糀作りの現場で私も一緒に作業をしていましたけど、今はほとんど母や従業員の皆さんに任せています。従業員の皆さんは、昔から親戚や近所の方が多いです」

母の妹、母の妹の旦那さん、2軒隣の親戚、近所のおばちゃん・・・

どんな人が働きに来ているのかを聞くと、地方ならではの親戚の多さ、家族経営の色濃さがよくわかる。しかし、雅恵さんが帰ってきてからは、町外から来た若い世代も交わってきているという。

「私、初めて買い物に来てくれた人にも声をかけるんです。『どう?バイトしない?』って。今は移住してきた方の奥さんとか、19歳の若い女の子も働いてくれています」

昔から変わらず一緒に働いている年配の方、そこに若い人が加わる。井上糀店を続けているのには、「そうして歳を取った人々が若いパワーをもらって元気に暮らすために」という理由も大きいと雅恵さんは話す。

雅恵さんが戻ってきてから変わった点は、従業員の顔ぶれだけではない。「手作り味噌教室」は、雅恵さんが糀屋を将来に紡いでいきたいという思いから始まったものだ。

糀と塩を混ぜ、大豆を潰して混ぜ合わせるという体験ができる教室は、井上糀店で開催されるものもあれば、現在ではワークショップの形でお店を出て出張教室をすることもあるという。「寒仕込み」が良いとされる味噌は、寒くなってきた今の時期から需要が増えるため、11月になると教室の回数も10回と多い。

「お味噌を自分で作る方って、年配の方が多いですよね。そうすると、高齢化に伴って、年々注文の電話がかかってこなくなるんです。若い世代の人たちはお味噌は買う文化になっているから、いつか『お味噌を作る』という文化が無くなってしまうかもしれない。だから、『家で作ったら楽しいよ』とか『自分で作ったお味噌は美味しいよ』っていうのを知ってもらって、少しでもお客さんを増やしていけたらなって」

時代の変化とともに需要が少なくなる「糀」という産業。でも、糀屋が未来へと続いていくために、味噌作りの魅力を知ってもらうために、雅恵さんは教室を開いている。昔ながらの製造方法を継続している井上糀店の味噌作りを体験すると、「懐かしい」と思う人がいたり、最近では「食育」にこの体験を取り入れる保育所、学校などもあるそうだ。大豆を一生懸命潰したり、泥団子のように丸く味噌を丸めたり。初めて体験する味噌作りだが、幼い子どもたちは「むっちゃ楽しそう」だという。

「小さな子たちが体験したあとはもう、『うわぁ』ってくらいぐっちゃぐちゃ。本当に楽しそうですね。それが、しばらくしたらお味噌になって、『美味しかった』っていう経験が良いんですよね」

糀屋を継ぐために帰ってきた地元・四万十町での久しぶりの生活。サラリーマン生活が長かった雅恵さんにとって、一番良かったことは、なんと「雨が降ったら洗濯物を取り込める」ことだという。

「サラリーマンでいたら、どんなにびしょ濡れでも『あぁ降ってるなぁ』って思うしかないですよね。今は家に帰って洗濯物を入れられる。布団も心配ない。すっごく幸せです。雨が降っても心配しなくていい。自営業バンザイですね」

「四万十町に帰ってきて良かったこと」という問いの答えとして、「全然的が外れてると思いますよ」とニヤニヤ笑いながらそう答えてくれた雅恵さん。無邪気な回答だけれど、移住前と移住後の暮らしの違いがよくわかる。ただ、雅恵さんにとってその両方の暮らしは、違いはあるけれど、「どちらの暮らしの方が良い」ということではない。

「うーん。どっちもありだと思っていて。サラリーマンって、ボーナスがありますよね。今は周りの人たちがボーナスをもらってる時には『良いなぁ』と思うこともあります。毎月定額のお給料をもらう、そういう暮らしも楽しいなって思うんですよね。そうやって暮らしていたあの頃の自分もありだなと思うんですよ。でも今は、ここでの暮らしが自分には一番馴染んでいるなって思いますね。置かれている立場も面白いし、一回町外へ出て帰って来ているから、町のこともちょっと俯瞰して見れるんです」

自分の行く先を自ら組み立てながら作っていくことができる。以前の暮らしと比較するのではなく、今の暮らしに向き合い、楽しみを見出している雅恵さんは、「井上糀店」としての魅力についても他と比較することがない。

井上糀店としてのこだわりは「ない」という。

「みんなそれぞれ。うちはうち。大手の会社なんかはすごい機械があって、温度管理も細かくして、品質ばっちり、美味しい糀ができる。それはそれで素晴らしいと思うんです。『うちはそこよりも優れているところがあるんだ』みたいなことは絶対言えないんです。昔ながらのやり方で作っているということは、気候や季節によって揺らぎもあるし、全てが万全にできるわけではない。

『今回はいい糀ができたね』『今回はいつもよりこうだね』とか言いながら作っているんです。それでも、『ここで作っているから』とか、『この蔵で作った味が好き』とか、そうやって楽しんでもらえる人に買ってもらえたらいいかなって」

こだわりがないということは、思いがないということではない。思いはあるけれども、それを無理強いすることなく、比較することなく、井上糀店の商品を迎え入れてくれるお客さんに出会えることを楽しみにしている。雅恵さんの朗らかな性格が井上糀店の製品作りにも表れているように見える。

長年離れた地元に戻り、今、雅恵さんが思い描く家業の未来像は、お年寄りがいつまでも働きに来られる場所。そこに、雅恵さんのように四万十町へ移住をしてくる人や若い世代が混ざり合い、ともに暮らしていく。

「しんどいことばっかりじゃ面白くないから、みんながワクワクできるようなことをしていきたいな」

等身大の暮らしを楽しみながら、生まれ育った地域で新しい形の営みをすすめる雅恵さん。その笑い声は、糀屋に立ち込めるお米のふんわりした匂いのようにあたたかかった。

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